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商売方針|基本品こそ最上品質
日本製
自社Tシャツ
Authorized Dealer
Crafted with pride,Made in Sumidaku, Tokyo/JAPAN.
Planning & Designing EASY co,.ltd. Kyoto/JAPAN.
日本でつくるからできること
日本品質 11の条件▶
かっこいいTシャツの11条
産まれてからの衣料屋です。
大正9年創業 京都イージー(出町 岸本屋)/ヒストリー
産まれて以来の衣料屋です。
ブランド ヒストリー 「これ、自分の商売ででけへんやろか?」
京都出町 1969
京都 京阪電車終点出町柳/出町橋のたもと/ランドマーク柳の木からから枡形商店街を臨む 正面の「メリヤス岸本屋」がぼくの生家だ(今はないです)
1958年 京都/出町 肌着屋の次男に産まれる
ぼくは産まれて以来のメリヤス=Tシャツ小売り屋だ なんか文句あるか? 笑 どうでもいいことだがぼくが幼稚園の頃まではランパン(今でいうトランクス)を家で縫い、自店ブランドで販売していた 今で言う製販一気通貫だな。今のベースはここにあるかもしれない。
衣料小売屋の商家に生まれたぼくはこどもの頃から確信的に将来は「商売で生きていくねん」と心に決めていた。
小学校の卒業文集にもそんなことを書いた記憶がある。この点は一貫しており大学4年の頃からバイトで勤めた京都と、その後25歳まで仙台駅前朝市鮮魚小売商に勤めていた頃も心の中は一貫して
「これ、自分の商売でできないやろか?」だった。
その後、家業の衣料小売りに戻り勤めることになるのだがぼくは5人兄弟次男、兄弟姉妹が多い商家の方はわかってもらえると思うが
「次男のオレはいつか自分で独立して商売やらなあかんな」ガキの頃から実は思っていたことだった。
1995年 目の前に「インターネット」が現れた
「現れた」が実感だ。同じくらいの年齢の方はわかってもらえるがFAXが普通に買える使えるようになったどころかそれまでにまったく概念がなかった通信手段が目の前に現れた。
根が商人たるぼくはやっぱり思った。
「これ、自分の商売ででけへんやろか?」
なんもわからんまま1995年8月から家業衣料店の片隅でネット通販をやりはじめた。
1997年に家業を離れTシャツ通販会社として自分の人生を賭けた事業としていわゆる独立をした
「これ、自分の商売ででけへんやろか?」
「それは今やんか。」
実行の時がついに来た。
ネットがなければ絶対に知り合えることがなかったほんとうに深く、本当にすばらしい全国たくさんの友人、仲間におもいきり学びながらなによりも全国のすばらしいお客様みなさまに恵まれ今に至る。ただただ感謝のひとことだ。
もちろん好きにさせてくれる愛する妻、こどもたちにも心から感謝。みんなありがとう。
1)お客様にこそ価値がある品だけを販売する
実家は祖父が京都、出町で大正時代に創業、肌着主力の「総合衣料」と言われる衣料店。兄弟とともに冬休みなどはいつも店の手伝いをしていた。とても繁盛した店だった。
しかしどんな物販商売にもあることかもしれないが「よく売れる店」=直接は言われなくてもヤスモノ衣料屋と親には言えない、こども心にもくやしい言葉をよく耳にした。
2)心に決めていた。
安いだけの「質のヤスモノ」はけっして売らない
いつの日か自分が大人になった時に売る品はヤスモノなどと言われない、ぜったいに喜んでいただける最上質の品だけを売りたいといつも思っていた。
この思いこそは今にいたり自社ブランドをつくり販売していく礎となった。岸本が売るTシャツは最高の品質や と言われるようになりたいと今もずっと思っている。思えている。必ずこうなってみせる。
目指すのは
Best Value for Money
販売価格に対する最高の価値 The Best or Nothing. / 最上か否か。 それだけだ。
3)Tシャツとのかかわり
1960年代
夏は映画「三丁目の夕日」(1964年東京オリンピックの年 小学校1年生だった)で子役さんが着ているランニングシャツ、京極小学校(いい校名や)の同級生もぼくもみんなこれだった。衣料が溢れる今の時代には信じがたいことだが昭和40年台はじめの頃、当時は肌着はあってもTシャツと呼べるものは日本では存在していなかったのだ。
中学生になる1970年大阪万博の頃から肌着工場のU首から派生し丸首半袖肌着シャツが市場にでてきた。
同じ年代の方にはおわかりいただけるが、この頃ぼくらが一番着ていた=かっこいいと思って、学校制服カッターシャツの下に着ていたのが今とは生地の編み方や縫製が異なる伸縮性に富む「フライス編み色つき肌着半袖シャツ」実は丸首の色つき肌着そのものだ。
4)西陣織との関わり
いかにも京都らしい住所「上京区室町通り一条角」ここに母校の上京中学校がある。校区のたくさんの友人のなかには、糸屋、帯屋、しみ抜き屋、紙屋、金らん屋、などまさに家業分業の見本、西陣織に関わるたくさんの家業があった。アソビに行くと近所から「ばったんばったん」
そう、わかる人にはわかる手織り足踏み編機の音だ。1960年代には今では家そのものにも値打ち?があるらしい(京都人はあの寒さ暑さの住みにくさも知ってる)近所の町家から聞こえてくる編機の音が西陣界隈にはあふれていた。今になって考えてみれば特に意識したことはないのに繊維や糸、日本らしい色に興味があるのは、こんなことからかもしれない。
この頃から丸首肌着素材はようやく今、世間で流通するTシャツの主な編み方、天竺(てんじく)編、外からは見えない縫製仕様、つまり今のTシャツと呼べるものがようやく世間にでてきた。日本におけるTシャツの歴史ってまだ50年ほどでしかないのだ。
1970年代
1970年代はTシャツにとって、また日本における服の文化にとって劇的変化があった。ぼくが私立平安高校生の頃、バイブルと呼ばれた雑誌ポパイなどでそれまでくわしくは知る由もなかった米国、主に西海岸のカルチャーが一気に入ってきた。この頃に「アメリカで作られたTシャツ」を知ることになる。
自分の親父がどこで仕入れてきたのか知らないけれど家業衣料店にはなぜか米国製のFruit of the Loom社のTシャツが商品としてあったことを覚えている。この品で(原材料綿花の世界一の産地は今も米国である)米国Tシャツのスタイル、ザラ感のあるオープンエンド(空紡)糸生地だけが持ち得る着心地を知ることになる。
1970年代後半頃の大学生の頃にはhanes/anvilなど米国製のTシャツが当時京都でもあった軍用品払い下げ品屋や、関西では三ノ宮/元町高架下(レッドさん、タイガースブラザースさんにはよく通った)、東京では上野アメ横などで売られることになってきた
(大阪ミナミアメリカ村はまだなにもなかった VWが目印、かのMy wayさんは高校たしか3年の時に開店された)日本における「夏はTシャツ」のスタイルは実はまだ50年ほどの歴史しかないのだ
1980年代
1980年代後半から実家衣料店の店長をしてきた ある時繊維関係の業界新聞で「米国衣料を卸します」の広告を見つけた。さっそく東京に出かけhanesやら当時この商社がつくっておられたブランドなど「アメリカのTシャツ」を自分の店でも売ってみた。買い物に来られる奥様にも「お子様、だんな様、きっとこれが気に入ってくれるから」と一生懸命すすめ、1990年台半ばからはびっくりするくらい売れるようになった。
1990年代
時を同じくして1995年からはインターネットなるものがわれわれにも使えるようになりこのTシャツをインターネットで通販しようと心に決め1995年家業店内からネット通販「岸本屋」を開始し順調に推移、2年後1997年に有限会社イージー(後に株式会社)を設立、人生を賭けた自分の事業としてのネット通販専業会社をスタートした。
5)2000年 自分のブランドnutsをつくる
【nuts】and bolts ナットとボルトのナット
【nuts】(物事の)基本[構成]、要点
【nuts】熱中者〜「Tシャツ一代」
その道のあほ(笑)みたいなスラング/米国俗語です。
【素材】最上の日本製fine cotton綿100%
【縫製】明治創業の由緒ある日本国内縫製工場製です。
当時の主流は米国ブランド まずさっさと米国に行きさっさと米国でつくった
ネットがあるからこそ知り合えた京都出身、カナダ在住の輸入実務とコンサルの方にコンタクトし、当時は毎年あった(現在はラスベガスで毎年開かれるmagic showに統合)西海岸カリフォルニア/ロングビーチでの展示会で、さるメーカーに(今はない)依頼し、自社ブランドとしていつかやりたいと思っていた
「nuts」=その道の○○一代みたいな意味のスラングをブランド名としタグを冠し販売した。当時、米国Tシャツはお客様には渡せない不良が20%ほどもあり商売的には初回は見事にわかりやすく失敗した。笑
2001年頃、縁あって日本の縫製/仕上げ工場さんと知り合えこちらに「日本製での自社ブランド製品 nuts」を、お願いすることにした。えりの高さなどで試行錯誤を重ね、現在に至るが、2010年より素材供給の紡績会社が、この太め糸生地での生地をつくってくれないこととなり、2011年は結果的に品切れとなることが続いてしまった。とてもくやしかった。
6)nutsゴールドタグ 2012年 販売再開
素材、糸こそTシャツの命 だからこそのJAPAN MADE100%
従来モデルでのザラ感のあるオープンエンド(空紡)糸生地、充分に喜んでいただけたが安定供給の点ではまったく×、素材が手に入らないことが多いのは自社ブランドでは品切れを意味しどうしようもない。今回リニューアルでは信頼できる日本の紡績会社でのTシャツ用厚手として最適なコーマ20/-としさらなる上質感のためにコーマ30/糸を編み込む特別な工程で生地にする。
そのうえで肌触りと質感を高めるため百貨店ブランド商品のみになされることが多い、度詰めといわれる生地の目を詰め、テンションを高める熟練の手間と加工を施すことでぼくとnutsを愛するお客様が望む、しっかりとした質感と繊細さを併せ持つ245g/m2、米国式表記では7オンス見当となる着心地と上質感を持つ最上素材が実現した。
前nutsのザラ感のあるオープンエンド(空紡)糸生地よりもさらに必ず喜んでいただける弊社(株)イージーのオリジナル素材。厚手素材感を持つ7オンスクラス度詰めテンションに仕上げる。言葉にすればこうなるけど工場との密なコミュニケーションが必要だった。
熟練の日本工場での素材製造だからこそなしえた7オンス見当の厚手でありながら、コーマ糸特有の光沢としっかり目の詰まった真の日本製ならではの必ず喜んでいただける値打満点、ほんとうにいい素材、商品ができたのだ。
nutsブランドはTシャツ屋としての自分の人生でもある。
Crafted With Pride. 100% JAPAN MADE
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