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2016_02_02 着倒れ京都のTシャツ

 着倒れ京都のTシャツ

 自分のブランド nutsTシャツで、最近書いている(書きたおしている 笑)深黒染めとともに、現行ゴールド/シルバータグ、つまり全品で、3月末〜4月上旬予定で、お客様にとって交通がとても便利な近日公開の某所で、「現物すべての即売」をします

 ついては、その所から宿題というか、提案書というか、企画書を「京都らしい品」をテーマに提出、説明の要があり、作文というか、着倒れ京都のTシャツを説明するため必要と思い、自分の生い立ちから書いてみました

Tシャツ


 京都出町 1969
京都 京阪電車終点出町柳 出町橋から枡形(ますがた)商店街を望む 正面の「メリヤス岸本屋」がぼくの実家でした



 The Best or Nothing. 最高か、それともなにもナシか
 京都品質を名乗るにあたって、一切妥協は無い
 狭く深く検討し、理想の品に向けて日々改良し続けてきたのが現販売品である

 nutsブランド Tシャツについてのご説明

 

 1)*SPA 無地Tシャツ屋に至る背景「商売で生きていく」

 1958年 京都/出町 肌着屋の次男に産まれて

 衣料小売屋の家に生まれたぼく岸本は、こどもの頃から将来は、「商売で生きていく」と確信的に心に決めていた。小学校の卒業文集にもそんなことを書いた記憶がある。大学4年の頃からバイトで勤めた京都と、その後、25歳まで仙台駅前朝市での鮮魚小売商でも、心の中は一貫して「これ、自分の商売ででけんやろか?」だった。その後、家業の衣料小売りに戻り、勤めることになるのだが、ぼくは5人兄弟次男、兄弟姉妹が多い商家の方は、わかってもらえると思うが、「いつか自分で独立して商売やらなあかん」 これも、ずっと思っていたことだった。1983年に実家商売に戻り、山科店店長として懸命にやってきた。

 1995年 ぼくの前に「インターネット」なるモノが現れた

 「これ、自分の商売にできないやろか?」で、なにもわからないまま、1995年から衣料店の片隅で通販をやりはじめた。 1997年にTシャツ通販会社としていわゆる独立し、ネットがなければ絶対に知り合えることがなかった、すばらしいたくさんの友人、仲間に学びながら、なによりも全国のすばらしいお客様みなさまに恵まれ今に至る。

 

 お客様にとってこそ最高の価値がある品だけを販売する

 ぼくの実家家業は祖父が京都、出町で大正時代に創業、肌着主力の「総合衣料」と言われる衣料店。兄弟とともに冬休みなどはいつも店の手伝いをしていた。とても繁盛した店だった。 しかしどんな物販商売にもあることかもしれないが、「よく売れる店」=直接は言われなくても、ヤスモノ衣料屋と、親には言えない、こども心にもくやしい言葉をよく聞いた。

 「安い」だけの 質のヤスモノはけっして売らない

 いつの日か、自分が大人になった時に売る品はヤスモノなどと言われない、ぜったいに喜んでいただける最高の品を売りたい といつも思っていた。この思いこそは今に続く、自社ブランドをつくり、販売していく礎となった。岸本が売るTシャツは最高の品質や と言われるようになりたいとずっと思っている。思えている。必ずこうなってみせる。この思いでずっとやってきた。

 

 2)Tシャツとのかかわり Tシャツがなによりも好きで興味があるということ。

 1960年代
 夏は、映画「三丁目の夕日」(1964年東京オリンピックの年 ぼくは小学校1年生だった)で子役さんが着ているランニングシャツ、京極小学校(いい校名や)の同級生もぼくもみんなこれだった。 衣料が溢れる今の時代には信じがたいことだが、昭和40年台はじめの頃、当時は肌着はあっても、Tシャツと呼べるものは日本では存在していなかったのだ。

 中学生になる1970年大阪万博の頃からU首から派生してきた、丸首半袖肌着シャツが市場にでてきた。同じ年代の方にはおわかりいただけるが、この頃ぼくらが一番着ていた=かっこいいと思って、学校制服カッターシャツの下に着ていたのが、今とは生地の編み方や縫製が異なる肌着としての伸縮性に富む、フライス織肌着丸首半袖シャツ  丸首の肌着だ。

 西陣織との関わり
 いかにも京都らしい住所「上京区室町通り一条角」ここに母校の上京中学校がある。校区のたくさんの友人のなかには、糸屋、帯屋、しみ抜き屋、紙屋、金らん屋、などまさに家業分業の見本、西陣織に関わるたくさんの家業があった。アソビに行くと、近所から「ばったんばったん」 そう、わかる人にはわかる手編み足踏み織機の音だ。1960年代には、今では家そのものにも値打ち?があるらしい(京都人はあの寒さ暑さの住みにくさも知ってる)近所の町家から聞こえてくる織機の音があふれていた。
 今になって考えてみれば、特に意識したことはないのに繊維や糸、日本らしい色に興味があるのは、こんなことからもあるのかもしれない。

 この頃からようやく、丸首肌着素材は今、世間で流通するTシャツの主な編み方、天竺(てんじく)織、外からは見えない縫製仕様、つまり今のTシャツと呼べるものがようやく世間にでてきた。

 

 1970年代
 1970年台はTシャツにとって、また日本における服の文化にとって劇的変化があった。ぼくが私立平安高校生の頃、バイブルと呼ばれた雑誌ポパイなどでそれまで詳しくは知る由もなかった米国、主に西海岸のカルチャーが一気に入ってきた。この頃、ぼくは「アメリカで作られたTシャツ」を知ることになる。

  親父がどこで仕入れてきたのか知らないけれど、家業の衣料店にはなぜか、米国製のTシャツが商品としてあったことを覚えている。 この品で、(原材料綿花の世界一の産地は今も米国である)米国Tシャツのスタイル、米国綿だけが持ち得る着心地を知ることになる。

 1970年代後半頃の大学生の頃には、hanes/anvilなど米国製のTシャツが当時京都でもあった軍用品払い下げ品屋や、関西では三ノ宮/元町高架下(レッドさん タイガースブラザースさんにはよく通った)、東京では上野アメ横などで売られることになってきた (大阪ミナミ アメリカ村はまだなにもなかった VWが目印、かのMy wayさんはぼくが高校たしか3年の時に開店された)日本における「夏はTシャツ」のスタイルは、実は、まだ40年ほどの歴史しかないのだ

 1980年代
 1980年台後半から、実家衣料店の店長をしてきた ある時、繊維関係の業界新聞で「米国衣料を卸します」の広告を見つけた。さっそく東京に出かけ、hanesやら当時この商社がつくっておられたブランドなど、「アメリカのTシャツ」を、自分の店でも売ってみた。買い物に来られる奥様にも、「お子様、だんな様、きっとこれが気に入ってくれるから」と一生懸命すすめ、1990年台半ばからはびっくりするくらい売れるようになった。

 1990年代
 時を同じくして1995年からはインターネットなるものが、われわれにも使えるようになり、ぼくはこのTシャツをインターネットで通販しようと心に決め、1997年に自分の会社を設立、通販をスタートした。

 

3)2001年 自分のブランド nuts をつくる 

 JAPAN MADEにこだわった自社ブランド

【nuts】and bolts ナットとボルトのナット
【nuts】(物事の)基本[構成]、要点
【nuts】熱中者〜「Tシャツ一代」 
【素材】最上の日本製fine cotton綿100%
【縫製】明治創業の由緒ある日本国内縫製工場製です

 

 

  最上のTシャツは、イチからつくる
 *SPA(製造小売業) store of private (revel)apparel.

 

4)nutsゴールドタグ

 素材、糸こそTシャツの命 だからこそのJAPAN MADE100%
 縦糸をコーマ20/-とし、さらなる上質感のためにコーマ30/2の横糸を編み込む特別な工程で編む。縦糸と横糸を太さが異なる単糸双糸を組み合わせることで、これまでの厚手ではなかった、柔らかな日本的な着用感を実現した

 そのうえで、肌触りと質感を高めるため百貨店ブランド商品のみになされることが多い、度詰めといわれる生地の目を若干詰め、テンションを高める熟練の手間と加工を施すことで、ぼくとnutsを愛するお客様が望む、しっかりとした質感と繊細さを併せ持つLサイズで約245g/m2、米国式表記では7オンス見当となる厚手の着心地と、日本らしいと感じていただける素材としての上質感が実現した。

 この編み方は他には存在しない。
縦横を異なる規格で編むのは、弊社(株)イージーと創業100年の生産委託先との、膝をつき合わせ、幾度もの試編み、テストを経て製品化した完全なオリジナル編み込み素材である。他に類はない。

 20/sコーマ単糸を縦糸+30/2コーマ双糸を横糸に編み込み、素材感として厚手となる7オンスクラス度詰めに仕上げる。言葉にすればこうなるけど、工場との密なコミュニケーションが必要だった。 熟練の日本工場での素材製造だからこそなしえた、7オンス見当の厚手でありながら、コーマ糸特有の光沢としっかり目の詰まった、真の日本製ならではの、必ず喜んでいただける、ほんとうにいい素材、商品に仕上がった。

 

 5)この気難しい生地にずっと挑戦してきた

2012年最初のモデルは洗濯後での丈が若干短かった。
2013年縮度からのすこし深すぎたVネックの仕様を変更した。

2014年それまでの16単糸/40双糸を、肌触りの向上のために20単糸/30双糸に変更とともに、フィットする着用感と相反する楽な着心地を目指し、身頃生地方向を通常とは90度変更、フィット感と楽さを高次元で両立させる意思でサイドパネル仕様に変更した。

 すべては失敗などではない。品質でのクレームなど過去に一切ない。常にその時点でのベストの品だしぼくにとってはあたりまえである。それでも、目の前に今、販売する品はいつでもぼく自身のベストであるために、さらなる改良のためだけに全完売させてきた。

 2015年11月から生産の2016年モデルは、縮度、着心地など必ず日々着ての経年テストとともに、さらなるベストを考え抜いてきた4度目の正直となる今のぼくのありったけベストの品だ。

 

 nutsブランド シルバータグ40双糸 ゴールドタグ20単糸/30双糸

 このふたつの製品に託し、着倒れ京都の名に恥じなく提案するのは
 日々一番も着たくなるデイリーウエアの最上 それがnutsブランドTシャツだ。

 


 

 

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【nuts】(and bolts) (ナットとボルトの)ナット
【nuts】(物事の)基本[構成]、要点
【nuts】熱中者〜「Tシャツ一代」 
    その道のあほ(笑)みたいなスラング/米国俗語です 



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